MARX FOR BEGINNERS

深掘()りシリーズ 第()1弾() ── 中()学()生()からわかる『資()本()論()』 マルクス超()入()門()

お金()が勝手()にふくらむのはなぜ? マルクスが解()いた資()本()のひみつ

約()160年()前()、カール・マルクスは『資()本()論()』という本()で「お金()と働()くことの仕()組()み」を徹底的()に分()析()しました。むずかしい本()だけど、いちばん大()事()な考()えはシンプルです。

G(お金()) W(商()品()) G′(増()えたお金())

↑ これが「資()本()」の正()体()。お金()で商()品()を買()い、売()って、前()より多()いお金()にする運()動()のこと。

CHAPTER 1

第()1章() マルクスって、どんな人()?

カール・マルクス(1818–1883)はドイツ生()まれの思()想()家()です。彼()が生()きた19世紀()のヨーロッパでは、工()場()がどんどん建()てられ、経済()は大()発展()していました。でも同()時()に、子()どもまでが1日()14時間()も工()場()で働()かされ、貧()しい人()はどれだけ働()いても貧()しいまま、という現()実()がありました。

マルクスは考()えました。「経済()が成()長()しているのに、なぜ働()く人()は豊()かにならないんだろう?」 この疑()問()を20年()以()上()かけて研()究()し、まとめたのが『資()本()論()』です。

先()生()メモ: マルクスは「資()本()主()義()は悪()だ!」と感()情()で叫()んだのではなく、資()本()主()義()がどういうルールで動()く機()械()なのかを分()解()して調()べた人()です。だから資()本()主()義()の中()で生()きる私()たち全()員()に役()立()ちます。
CHAPTER 2

第()2章() すべては「商()品()」から始()まる

『資()本()論()』の最()初()のテーマは、コンビニにもネットにもあふれている「商()品()」です。マルクスは、どんな商()品()にも2つの顔()があると言()いました。

  • 使()用()価()値() = 役()に立()つ力(): パンなら「食()べられる」、スマホなら「連()絡()できる・遊()べる」。モノが持()つ、人()の役()に立()つ性()質()のこと。
  • 交()換()価()値() = 交()換()できる力(): パン1個()=150円()、スマホ1台()=10万()円()のように、他()のモノやお金()と交()換()できる性()質()のこと。値()段()のもとになる顔()。

じゃあ、商()品()どうしを交()換()する比()率()(値()段()のもと)は何()で決()まるの? マルクスの答()えは、「その商()品()を作()るのに、社()会()の平()均()でどれくらいの労()働()時()間()が必()要()か」です。これを社()会()的()に必()要()な労()働()時()間()といいます。「自()分()がのんびり作()って2倍()の時()間()がかかったから2倍()の価()値()」にはなりません。あくまで社()会()の平()均()です。

ここで大()事()なのは、マルクスは「労()働()が価()値()を決()めるから正()しい値()段()はこれだ」と言()いたかったのではない、ということです。彼()が問()題()にしたのは仕()組()みのほうです。資()本()主()義()では、みんながバラバラに生()産()して、売()れてはじめて自()分()の労()働()が社()会()に認()められる。人()と人()の関()係()が、モノとモノの交()換()やお金()の動()きの姿()をとって現()れる——マルクスはこれを 物象()化() ぶっしょうか 人()と人()の関()係()が、モノとお金()の関()係()の姿()をとって現()れること。 もっと詳()しく → (ぶっしょうか)と呼()び、『資()本()論()』第()1章()の中()心()テーマにしました。

研()究()の現()在()地()メモ: 実()は、この「価()値()」と実際()のお店()の値()段()はぴったり一致()しません。そのズレの説()明()や、主()流()派()経済()学()との違()い、現()代()の研()究()の読()み方()は少()し専()門()的()になるので、折()りたたんでおきます。
もっと詳()しく:価()値()と価()格()のズレ、主()流()派()との違()い、現()代()のマルクス研()究()

①現()実()の価()格()は需()要()・供()給()(買()いたい量()と売()りたい量())や競()争()で「価()値()」から日々()ズレますし、第()3巻()では「生()産()価()格()」という別()の水()準()の話()になります(転()形()問()題()という長()い論()争()があります)。

②1870年代()以()降()の主()流()派()経済()学()(新()古()典()派())は、労()働()価()値()説()そのものを採()用()していません。

③現()代()のマルクス研()究()には複()数()の潮()流()があり、それぞれ異()なる体()系()を持()ちます(ドイツのハインリッヒ、日本()の宇()野()弘()蔵()の学()派()、佐々木()隆()治()など)。このページは、そのうち価()値()形()態()論()・ 物象()化() ぶっしょうか 人()と人()の関()係()が、モノとお金()の関()係()の姿()をとって現()れること。 もっと詳()しく → 論()を重()視()する読()み方()に沿()って、マルクスの価()値()論()を「価()格()を予()測()する理()論()」ではなく、労()働()が市()場()を通()じてしか社()会()につながれない仕()組()みを解()明()する理()論()として読()み直()しています。

CHAPTER 3

第()3章()「お金()」が「資()本()」に変()身()する瞬()間()

ふつうの買()い物()の流()れ: 商()品()(自()分()の労()働())→お金()(給()料())→商()品()(ほしい物())。売()って→お金()にして→使()う。あなたが働()いて給()料()をもらい、それで買()い物()をするのも、この流()れです。目()的()は「ほしい物()を手()に入()れること」。ここでお金()の旅()は終()わりです。

でも、会()社()や投()資()家()のお金()の動()きはちがいます: お金()100万()円()→商()品()(材()料()・機()械()・労()働())→お金()120万()円()。お金()で始()まり、増()えたお金()で終()わる。しかも終()わらずに、また次()の商()売()へ。永()遠()にくり返()します。

このように、自()分()をどんどん増()やそうとして動()き続()けるお金()のことを、マルクスは資()本()と呼()びました。お金()そのものが資()本()なのではなく、「増()えるための運()動()をしているお金()」が資()本()なのです。

CHAPTER 4

第()4章() 増()えた分()のお金()は、どこから来()た?

100万()円()が120万()円()になったとき、増()えた20万()円()はどこから生()まれたのでしょう。マルクスの答()えは意()外()なところにありました。働()く人()の労()働()時()間()の中()です。

まず、マルクスの重()要()な区()別()をひとつ。労()働()者()が会()社()に売()っているのは「労()働()」そのものではなく、 労()働()力() 1日()働()ける能()力()のこと。労()働()者()が会()社()に売()っているのはこれ。 もっと詳()しく → ——1日()働()ける能()力()——という商()品()です。 労()働()力() 1日()働()ける能()力()のこと。労()働()者()が会()社()に売()っているのはこれ。 もっと詳()しく → の価()値()は、他()の商()品()と同()じルールで決()まります。つまり 労()働()力() 1日()働()ける能()力()のこと。労()働()者()が会()社()に売()っているのはこれ。 もっと詳()しく → を毎()日()回()復()させるのに必()要()なもの(食()事()・住()まい・休()息()など)を用()意()するための労()働()時()間()です。あなたの給()料()も、だいたいこの考()え方()で決()まっています。

ここからが核()心()です。 労()働()力() 1日()働()ける能()力()のこと。労()働()者()が会()社()に売()っているのはこれ。 もっと詳()しく → という商()品()には特()別()な性()質()があります。使()う(働()かせる)と、自()分()の価()値()より大()きな価()値()を生()み出()せるのです。給()料()分()の価()値()は1日()の途()中()で作()り終()わり、残()りの時()間()に生()まれた価()値()は会()社()のものになる。マルクスはこれを 剰()余()価()値() じょうよかち 労()働()力()の価()値()(給()料())を超()えて生()み出()された価()値()。等()価()交()換()のもとで生()まれる。 もっと詳()しく → (じょうよかち)と名()づけました。

ここが『資()本()論()』のいちばん鋭()いところ: 会()社()は 労()働()力() 1日()働()ける能()力()のこと。労()働()者()が会()社()に売()っているのはこれ。 もっと詳()しく → を価()値()どおりの値()段()で買()っています。だれもだましていないし、契()約()は対()等()で、ルール違()反()もありません。等()価()交()換()なのに、 剰()余()価()値() じょうよかち 労()働()力()の価()値()(給()料())を超()えて生()み出()された価()値()。等()価()交()換()のもとで生()まれる。 もっと詳()しく → が生()まれる—— 搾()取() 労()働()者()が生()み出()した価()値()のうち、賃金()を超()えた部()分()を資()本()家()が取()得()すること。 もっと詳()しく → は「ズル」ではなく、この社()会()の正()常()な仕()組()みそのものだ、というのがマルクスの分()析()です。「悪()い社()長()を良()い社()長()に替()えれば解()決()」という話()ではない理()由()がここにあります。

剰()余()価()値() じょうよかち 労()働()力()の価()値()(給()料())を超()えて生()み出()された価()値()。等()価()交()換()のもとで生()まれる。 もっと詳()しく → シミュレーター ── 必()要()労()働()時()間()(給()料()になる分())は4時間()で固()定()です。スライダーで1日()の労()働()時()間()を動()かして、剰()余()労()働()(会()社()の利()益()になる分())がどう変()わるか見()てみましょう。

8時間()
  • 必()要()労()働()(給()料()になる分()) 4時間()
  • 剰()余()労()働()(会()社()の利()益()になる分()) 4時間()

この日()、会()社()は労()働()者()1人()から4時間()分()の 剰()余()価()値() じょうよかち 労()働()力()の価()値()(給()料())を超()えて生()み出()された価()値()。等()価()交()換()のもとで生()まれる。 もっと詳()しく → を得()ました。労()働()時()間()が長()いほど、利()益()は大()きくなります。

先()生()メモ: だから19世紀()の工()場()は労()働()時()間()をどこまでも延()ばそうとし、労()働()者()は「1日()8時間()にして!」と闘()いました。あなたがいま当()たり前()だと思()っている「8時間()労()働()」や「残()業()代()」のルールは、この綱()引()きの結果()なんです。
CHAPTER 5

第()5章() 資()本()は雪()だるまのようにふくらむ

会()社()は得()た利()益()を使()い切()りません。新()しい機()械()や工()場()に再()投()資()して、もっと大()きな利()益()を狙()います。利()益()が利()益()を生()む、雪()だるま式()の成()長()。これを資()本()の 蓄()積() 利()益()を再()投()資()して資()本()が雪()だるま式()に増()えること。 もっと詳()しく → といいます。

マルクスはここから、競()争()に勝()った大()企()業()がどんどん巨()大()になっていくこと(資()本()の集()中()・集()積())を導()きました。さらに、資()本()を持()つ側()と、 労()働()力() 1日()働()ける能()力()のこと。労()働()者()が会()社()に売()っているのはこれ。 もっと詳()しく → しか売()るものがない側()の力()の差()が構()造()的()に生()まれることも指()摘()しています。現()代()の巨()大()IT企()業()を見()ると、約()160年()前()の分()析()とは思()えないほどです。

ただし「労()働()者()はどこまでも貧()しくなる」と読()むか、「豊()かにはなるが資()本()家()との差()は開()く」と読()むかは、研()究()者()の間()でも解()釈()が分()かれるポイントです。

CHAPTER 6

第()6章() なぜ好()景()気()は必()ず終()わるのか

資()本()は「もっと売()れる、もっと儲()かる」と信()じて生()産()を拡()大()し続()けます。銀()行()もお金()を貸()してそれを後()押()しします。ところがある日()、この拡()大()が限()界()にぶつかり、 恐()慌() 資()本()主()義()の内()側()から生()まれる経済()の崩()壊()。マルクスは理()論()を完()成()させていない。 もっと詳()しく → (きょうこう)——いまの言葉()でいう不()況()や金()融()危()機()——が起()きます。マルクスは、これは偶()然()の事()故()ではなく、資()本()主()義()に組()み込()まれた必()然()のサイクルだと考()えました。

ではなぜ限()界()が来()るのか。『資()本()論()』にはいくつかのヒントが書()かれていて、研()究()者()の間()でも解()釈()が分()かれています。

  • ① 作()りすぎ(過()剰()生()産())説(): 各()社()が競()って生()産()を増()やすが、買()い手()の給()料()はそこまで増()えず、モノが売()れ残()る。
  • ② 儲()けにくくなる(利()潤()率()低()下())説(): 機()械()化()が進()むほど、利()益()の源()である「人()の労()働()」の割()合()が減()り、投()資()に対()する儲()けの率()が下()がっていく。
  • ③ 借金()のふくらみすぎ(信()用()膨()張())説(): 好()景()気()に銀()行()の貸()し出()しや投()機()がふくらみ、実体()とかけ離()れたところで一気()に崩()れる。

どれが本()命()かは今()も論()争()中()ですが、共()通()するのは「危()機()は外()から来()る事()故()ではなく、資()本()主()義()自()身()が生()み出()す」という見()方()です。好()景()気()→過()熱()→崩()壊()→回()復()のリズムは、今()も株()式()市()場()でくり返()されています。

研()究()の現()在()地()メモ: 実()は『資()本()論()』でマルクス自()身()が完()成()させたのは第()1巻()だけです。 恐()慌() 資()本()主()義()の内()側()から生()まれる経済()の崩()壊()。マルクスは理()論()を完()成()させていない。 もっと詳()しく → 論()や利()潤()率()低()下()の「法()則()」を含()む第()2・3巻()は、彼()の死()後()に友()人()エンゲルスが未()完()成()の草()稿()から編()集()したもの。新()全()集()(MEGA)の草()稿()研()究()によって、エンゲルス版()とマルクスの草()稿()にはずれがあることが確()認()されており、「マルクスは 恐()慌() 資()本()主()義()の内()側()から生()まれる経済()の崩()壊()。マルクスは理()論()を完()成()させていない。 もっと詳()しく → 理()論()を完()成()させていなかった」というのが現()在()の研()究()の共()通()理()解()です。だからこの章()は「答()え」ではなく「未()完()の研()究()ノート」として読()むのが正()確()です。なお、置塩()定()理()(実質()賃金()率()が一定()であれば、費()用()削()減()のための技()術()進歩()は利()潤()率()を下()げないという議()論())のように、②の利()潤()率()低()下()説()にはマルクス経済()学()の内()部()からも異()論()があります。置塩()定()理()をどう評()価()するかについては、マルクス経済()学()の内()部()でさらに論()争()が続()いています。
CHAPTER 7

第()7章() ほかの経済()学()と、なにがちがう?

経済()学()にはいくつもの流()派()があり、「価()値()はどこから生()まれるか」「不()況()はなぜ起()きるか」「お金()とは何()か」という根本()の問()いへの答()えがそれぞれ違()います。マルクスの位()置()がわかるように、代()表()的()な考()え方()とくらべてみましょう。

主()流()派()経済()学()(新()古()典()派())── 学校()や大()学()で習()う標()準()

価()値()の源()
モノの価()値()は労()働()量()ではなく、人()がどれだけ満足()するか(効()用())と需()要()・供()給()で決()まると考()えます。
利()益()とは
搾()取() 労()働()者()が生()み出()した価()値()のうち、賃金()を超()えた部()分()を資()本()家()が取()得()すること。 もっと詳()しく → ではなく、資()本()を提()供()したことやリスクを取()ったことへの正()当()な報()酬()。
不()況()とは
市()場()は基()本()的()に自()動()でバランスを取()り戻()す。不()況()は外()からのショックや一時()的()な調()整()と見()る立場()が多()い。
マルクスとの最()大()の違()い
1870年代()の「限()界()革()命()」以()降()、経済()学()の主()流()は労()働()価()値()説()を手放()し、「 剰()余()価()値() じょうよかち 労()働()力()の価()値()(給()料())を超()えて生()み出()された価()値()。等()価()交()換()のもとで生()まれる。 もっと詳()しく → 」「 搾()取() 労()働()者()が生()み出()した価()値()のうち、賃金()を超()えた部()分()を資()本()家()が取()得()すること。 もっと詳()しく → 」という概()念()も使()いません。マルクスが必()然()と見()た 恐()慌() 資()本()主()義()の内()側()から生()まれる経済()の崩()壊()。マルクスは理()論()を完()成()させていない。 もっと詳()しく → を、主()流()派()の多()くは外()的()ショックや市()場()の失敗()と見()ます。現()代()の経済()学界()の標()準()はこちら側()であり、マルクス経済()学()は少()数()派()の立場()です。どちらの枠組()みで考()えるかで、同()じ経済()がまったく違()って見()えます。主()流()派()の中()身()と成()績()表()は、深掘()り第()3弾()「主()流()派()経済()学()ってなに?」で詳()しく扱()っています。

ケインズ経済()学() ── 不()況()は政()府()が治()せる

不()況()とは
みんなが不()安()でお金()を使()わなくなる需()要()不()足()が原()因()。放()置()せず、政()府()がお金()を使()って(公()共()事()業()など)景()気()を支()えるべきだと考()えます。
マルクスとの関()係()
「資()本()主()義()は放()っておくと不()安()定()」という診()断()は似()ています。ただしケインズは資()本()主()義()は修()理()しながら使()えると考()え、マルクスは構()造()そのものに矛()盾()があると考()えました。医()者()にたとえると、ケインズは治()療()派()、マルクスは「この体()質()自()体()が病()気()を生()む」と言()った側()です。

MMT(現()代()貨()幣()理()論())── お金()は国家()が作()る

お金()とは
お金()は物々交換()から自()然()に生()まれたのではなく、国家()が税()金()を課()すことで生()み出()したものと考()えます(まず政()府()が支()出()し、あとで税()として回()収()する)。
財()政()とは
自()国()通()貨()を発行()できる政()府()は、自()国()通()貨()建()ての借金()で破()綻()することはない。本()当()の限()界()はインフレだと主()張()します。
マルクスとの違()い
いちばん深()い違()いはお金()の説()明()のしかたです。マルクスは、商()品()どうしが交()換()される社()会()では、価()値()を表()すための特()別()な商()品()=貨()幣()が必()然()的()に生()まれる、と商()品()の分()析()から貨()幣()を導()きました(価()値()形()態()論())。MMTは国家()の課()税()権()からお金()を説()明()します(表()券()主()義())。出発()点()がまったく違()うのです。また、MMTは通()貨()と財()政()の理()論()であって、 搾()取() 労()働()者()が生()み出()した価()値()のうち、賃金()を超()えた部()分()を資()本()家()が取()得()すること。 もっと詳()しく → や階()級()を分()析()する理()論()ではない点()も大()きな違()いです。
共()通()点()と現()在()
「市()場()に任()せれば安()定()する」という主()流()派()に批()判()的()な点()は共()通()します。なおマルクスの貨()幣()論()は金()本()位()制()の時()代()のもので、金()と切()り離()された現()代()の通()貨()をどう説()明()するかは、マルクス経済()学()の側()でも信()用()貨()幣()論()を取()り込()みながら研()究()が続()いている途()上()のテーマです。MMTそのものの主()張()と限()界()は、深掘()り第()2弾()「MMTってなに?」で詳()しく扱()っています。
先()生()メモ: どの流()派()が「正()解()」というより、それぞれ見()ようとしているものが違()うのがポイント。主()流()派()は価()格()と選()択()、ケインズは景()気()と需()要()、MMTは通()貨()と財()政()、そしてマルクスは利()益()の生()まれる仕()組()みと、その仕()組()みが生()む力()関()係()を見()ています。
CHAPTER 8

第()8章() いまを生()きる私()たちへ

マルクスの答()えのすべてが正()しかったわけではありません。彼()の思()想()をかかげた国々()が大()きな失敗()をしたのも歴()史()の事()実()です。ただしマルクス自()身()は資()本()主()義()の分()析()にほぼ全()力()を注()ぎ、社()会()主()義()社()会()の具()体()的()な設計()についてはごくわずかしか書()き残()していません。ソ連()型()体()制()の評()価()とマルクスの理()論()の評()価()は、分()けて考()える必()要()があります。それでも、彼()の立()てた問()いは今()も生()きています。

「その利()益()は、誰()のどんな労()働()から生()まれた?」「このブームは本()物()か、作()りすぎの熱狂()か?」「経済()が成()長()したら、みんなが豊()かになれているか?」——ニュースや株()価()の裏()側()でお金()がどう動()いているかを考()えるとき、マルクスのメガネはとても良()く見()えるのです。

晩()年()のマルクス — 新()全()集()(MEGA)研()究()でわかったこと: マルクスは晩()年()、ロシアの農()村()共()同()体()や非()西()欧()社()会()、自()然()科()学()(農()学()・地()質()学()など)を大()量()にノートに書()き残()していました。1881年()のザスーリチへの手紙()の下()書()きでは、「西()欧()と同()じ発展()の道()をすべての社()会()がたどる」という単()線()的()な見()方()を自()分()で修()正()しています。ここまでは草()稿()から確()認()されている事()実()です。この晩()年()マルクスを「脱()成()長()」の思()想()家()として読()む解()釈()(斎()藤()幸()平()など)は国()際()的()に注()目()されていますが、あくまで有()力()な解()釈()のひとつで、研()究()者()の評()価()は分()かれています。
この解()説()の立場(): 現()代()のマルクス研()究()には複()数()の潮()流()があり、ドイツのハインリッヒ、日本()の宇()野()派()、佐々木()隆()治()らはそれぞれ異()なる体()系()を持()ち、論()争()関()係()にもあります。このページは、そのうち価()値()形()態()論()・ 物象()化() ぶっしょうか 人()と人()の関()係()が、モノとお金()の関()係()の姿()をとって現()れること。 もっと詳()しく → 論()を重()視()する読()み方()を採()り、中()学()生()向()けに言葉()を選()び直()したものです。単()純()化()はしていますが、① 搾()取() 労()働()者()が生()み出()した価()値()のうち、賃金()を超()えた部()分()を資()本()家()が取()得()すること。 もっと詳()しく → は等()価()交()換()のもとで成()立()する、②第()2・3巻()は未()完()成()草()稿()、③主()流()派()経済()学()は労()働()価()値()説()を採()用()していない、という研()究()上()・学界()上()の基()本()事()実()は曲()げずに書()いています。次()の一冊()には佐々木()隆()治()『カール・マルクス』(ちくま新()書())か斎()藤()幸()平()『ゼロからの『資()本()論()』』をどうぞ。
GLOSSARY

用()語()集()

資()本()
増()えることを目()的()に運()動()し続()けるお金()。G→W→G′。
労()働()力()
1日()働()ける能()力()。労()働()者()が売()っているのは労()働()ではなくこれ。
剰()余()価()値()
労()働()力()の価()値()(給()料())を超()えて生()み出()された価()値()。等()価()交()換()のもとで生()まれる。
搾()取()
ふだんは「不()当()にだまし取()る」という意()味()で使()われる言葉()だが、マルクス経済()学()ではもっと限()定()された意()味()を持()つ。正()確()には、労()働()者()が生()み出()した価()値()のうち、賃金()として受()け取()る分()を超()えた部()分()(剰()余()価()値())を、資()本()家()が取()得()すること。契()約()は対()等()でルール違()反()もない、等()価()交()換()のもとで発生()する構()造()的()な仕()組()みを指()す。
物象()化()
人()と人()の関()係()が、モノとお金()の関()係()の姿()をとって現()れること。たとえば、工()場()の労()働()者()どうしの助()け合()いという人()と人()の関()係()が、「商()品()の価()格()」や「株()価()」の上()下()としてしか見()えなくなるように。現()代()マルクス研()究()の中()心()概()念()のひとつ。
蓄()積()
利()益()を再()投()資()して資()本()が雪()だるま式()に増()えること。
恐()慌()
資()本()主()義()の内()側()から生()まれる経済()の崩()壊()。マルクス自()身()は理()論()を完()成()させておらず、説()明()は諸()説()ある。

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FURTHER READING

参()考()書()

現()代()の日本()にもマルクス経済()学()を研()究()する学会()(経済()理()論()学会()・会()員()約()650人()規()模()〈2024年()時()点()〉)があり、いまも研()究()が続()く分()野()です。もっと知()りたくなったら、まずはこの4冊()から。

  • 原()典()カール・マルクス『資()本()論()』(1867) ── 難()解()だが、すべての出発()点()。まず解()説()書()からでも。
  • 入()門()書()佐々木()隆()治()『カール・マルクス』(ちくま新()書()) ── 本()ページも参()考()にした、現()代()の研()究()にもとづく信()頼()できる入()門()書()。
  • 入()門()書()斎()藤()幸()平()『ゼロからの『資()本()論()』』── 晩()年()のマルクスの「脱()成()長()」的()な読()み直()しまで踏()み込()んだ一冊()。
  • 発展()松()尾()匡()・橋()本()貴彦()『これからのマルクス経済()学()入()門()』── もう一歩()体()系()的()に学()びたい人()向()け。

※立場()や読()みやすさの異()なる本()を並()べています。まずは1冊()、気()になるものから。

このページで覚()えておいてほしいこと

この記()事()は「経済()学()の地()図()」深掘()りシリーズ第()1弾()です

マルクス経済()学()は、比()較()地()図()の6学派()(新()古()典()派()・ケインズ・マネタリズム・オーストリア学()派()・ニューケインジアン・MMT)とは別()の軸()で「利()益()がどこから生()まれるか」を問()う理()論()です。第()7章()で比()較()した主()流()派()経済()学()(深掘()り第()3弾())とMMT(深掘()り第()2弾())もあわせてどうぞ。人間()の非()合()理()性()を扱()う行()動()経済()学()(深掘()り第()4弾())は、また別()の角()度()から経済()学()の前()提()を問()い直()しています。

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